2012年11月8日木曜日

或る夜の出来事

布団に寝そべり意識は朦朧。耐え難い眠気に見るともつかぬ虚空を眺めると、聞こえてくるは羽虫の音。


羽虫はジィジィと羽ばたき壁をコツコツ叩きながら天地が引っくり返ったとばかりに天井を転げ回り、おちおち寝てもいられない。いつ力尽き顔の上に墜ちて来るともしれない。 心が落ち着かない。


どうにか平穏無事な睡眠を妨げられぬよう羽虫を捕らえるためにと抗い難い眠気に抗い体を動かそうとするが、まるで杭に打ち付けられたかのように腕が動かない。脚が動かない。首が回らない。


羽虫の軌道は光を残す。コツコツと小気味良いリズムに合わせて跳ねるように踊る半円形。薄い意識はとうにリズムと動きに支配され、それが何かは蚊帳の外。羽虫は果たして蚊だろうか。


あぁこの残光はかつて花火を手に持ち闇に描いた軌道と似ているなぁと思うが止まる、羽虫の音。雲が晴れ渡り青空が見えてくる。青空はいつもの部屋の天井だった。


布団に寝そべり意識は明瞭。そばだてた耳にはもう届かない。羽虫の音は夢幻に消え果てた。或る夜の出来事。

2012年11月1日木曜日

物語に操られている

 極私的で重大なことに気が付いた。それというのも俺が小説読んでる時にどう読んでいるのかと考えていて、それは頭の中を空っぽにしてそこに小説の言葉を流し込んで物語を動かしている。
 つまり自らが操り人形となり小説がその繰り手となるような読み方をしてるのではないかと考えた。


 これはどういうことかと言うと、操られるがままの俺こと操り人形は、物語の全体像を掴むわけではなく今自分がどう動かされたか、其れ即ち小説での全体の流れではない場面ごとの心理の動き、今自分がどういうポーズを取っているか、其れ即ち小説のある一つの決定的な瞬間での気持ちや情景描写、そういった刹那的なものでしか理解していないということである。これから何が起こるかこれまでに何が起こってこういう結果に至ったかという思考が抜け落ちてしまっているという重大な欠点を抱えていることを自覚した。


 自分の感想と、読んでいて思わず感心するような他人の感想を比べて実感した違いは、まず他人のそれは登場人物の信条やその一貫性を評価していることが多々あるということである。しかし俺は登場人物の信条を意識していること自体がほとんど無い。登場人物の一貫性に注意を払うことも無い。その他人は小説を読むとその文章から要素を掻い摘み頭の中に生き写しのキャラクターを作り出しそれを物語として活躍させているのだろうが、俺はただの小説による操り人形になっているだけだ。操り人形は突飛な動きをさせられても何も疑問に思うことは無い。突飛な動きが面白い動きであったならばそれを褒め聳やかす程度の脳しか持ち合わせていない。
 だがこれにも利点はある。それこそが利点になり得る。その利点というのはたとえ一貫性のない登場人物であったとしても物語を楽しめるということである。いわゆる幻想小説のような行動や風景を理屈で解釈出来ない作品であっても漂う雰囲気と刹那的な描写で楽しめるのだ。
 総ずると利点にもなり得るこの読み方だが欠点もある。よって読み方の意識を変える必要性がある。一貫したテーマがある作品でそのテーマにそぐわない行動を取るのはナンセンスだ。そういうナンセンスな作品を評価するのではまだ読み方が甘い。頭の中でキャラクターを躍動させ物語を展開させるのだ。

 他にもなんかあるような気がするけど疲れた。終わる。


 次はほしい物リストにまとめてるおすすめの作品と簡単な感想をブログにまとめる。アフィでも無いし住所も登録してないから何も利益は無いんだけど、ほしい物リストを利用している時点で気が引けてしまうし、作って放置も勿体無いからそれならジャンルごとにブログにまとめればいいと思ったのでやってみることにした。更新時期は未定。