2013年3月29日金曜日

夢遊病患者

煌々と照る月明かりの中、象のいななきのように高く伸びるクレーン車の、遥かなる頂きに座り眠る女の子を見た。
その頂点は天を突き破り月を見い出し、降り注ぐ光は存在を闇夜に浮かぶ魂のごとく浮かび上がらせる。
背景は黒く雑に塗り潰した木々の葉の形に切り取られ、ざわめく音が場を支配する。
先程まで鳴っていた砂利を蹴る足音も、某然と立ち尽くす私と共にその場に溶けた。
柔らかな風は長い髪を棚引かせ、揺れる体は今にも潰えてしまいそうで線香花火のような幽玄な儚さを感じさせる。
その光景はとても幻想的で、信じられないバランス感覚でそこにいた。
飴細工のように触れることを拒む姿を、私は見つめることしか出来ない。

やがてその子は目を開き、両腕を左右に開いて立ち上がる。
リズム良く確実な歩みでクレーンを下る。
ふわりと、何事も無かったかのように地上に降り立ち、砂利を踏みしめながら木々のざわめきに消えた。

私は足に杭を打たれたかのように動くことが出来ない。






女の子が、落ちたと噂に聞いた。入院しているらしい。一度話をしてみたいと思い、近くの病院を探した。

そこには、包帯に包まれ、無数の管を体に通された痛々しい姿があった。

「初めまして、と言いたいところだが、僕は君を見たことがある。クレーン車の天辺で、だ。どうしてあんなところで眠っていたのか、教えてくれないか」

『……私は夢遊病患者なの』

「夢遊病?」

『寝てる間に勝手に変なところに行ってしまうの。主に高いところに登っていることが多いわ』

「危ないじゃないか。部屋に外から鍵はかけてないのか?寝ている間に外に出てしまわないように」

『昔はそうしていたわ。でも今はしてないの。周りの人にも秘密』

「どうして秘密にするんだ。危なくて見ていられない。現に君はこうやって怪我をしたじゃないか」

『昔はそうして部屋に鍵をして寝ていたわ。両親に外から鍵をかけてもらって。文字通り箱入り娘のように扱われていたの。だけども私はそれが嫌で、閉じ込められているときにはいつも悪夢を見ていた。永遠にそこから出られなくなる、永い永い悪夢を』

『両親が死んだのは最近のこと。それから私は寝る時には寝ている私の自由にさせようと決めたわ。とても楽しかった。夢の中の私は解放され、 悪夢を見ることも無くなった。けれども、起きたときに見知らぬ高い場所にいることも多くて怖かった。それでもやめなかった。夢うつつに死ねるのなら、それでもいいと思ってた。夢の中の私になら殺されてもいいとさえ思った。夢の中で現実の自分が死ねば、私は夢で永遠になれると、そう信じていたわ』

『そしてその日が来た。私は落下する夢を見て、突如、痛みに目覚めた。落ちていた。痛かった。私はまだ、生きていた。そして今。覚悟はしていたつもりだったけど、こうなってしまうと意思は弱まってしまうわね。そもそも歩けないし。夢の中の私は一体この状態でどうするのでしょう。医者にはもちろん夢遊病であることは伝えてない。あなたも内緒にしておいてね。ちょっぴり恐怖心が芽生えちゃったけど、それでもこれからも夢の中の私にすべてを任せるわ。私は夢の中で生きたい』





数日後、女の子が落ちて亡くなったと知った。
あの子は果たして、夢の中に生きることは出来たんだろうか。