2017年1月18日水曜日

Undertaleについて3

またネタバレしてるから白文字にする。







































ここから。


何度もやめようと思いつつ再開して、必ずお前をぶっ殺すという強い意志でプレイできたのはいいんだけど、ストーリー、話の流れがすっぽり頭から抜け落ちてしまった。難易度の高さ、没入感の妨げはここが悪いところなんだよ。だから好きになれない。

このクソ操作性でこの極悪難易度。それでいて信者はGルート自力クリア出来ずに動画を見た人のことをFloweyの理論で貶めて来るんだぜ。 挙句の果てには自力クリア出来ずに動画見た人までもがそれに感化されてこのクソな操作性と極悪難易度を正当化する。マジふざけてんじゃねぇよ。クリアできなかったやつは何なんだよ。自分の意志を持てよクソ野郎。

俺は弱いやつの味方だからクリアできずにプレイ動画を見た人を支持するし、この思想には全くもって賛同できない。特にこのゲームの手先みたいになってるやつは大嫌いだ。 

だが悪意すらこもってるこのゲームの信念と、それを貫き通したことは認める。

大体よお、お前他人に褒められるためにゲームやってるわけじゃないだろう?その内的な部分を批判するなんて、開発者との一対一の対話(ゲームをすること)ならまだしも、第三者に言われる筋合いは無いだろう。

なんつーか、開発者視点に立って物事を考える人って多いよね。俺は徹底的にユーザー視点に立って物事を考えてるつもりだけど、ゲハもそういう類いの話だし。
ユーザーに開発者視点を持たせようとするのって、要は経営者目線を持てってのと同じ話だろう?
俺には承服致しかねるぞ。

ところでゲームの仕組みを利用したループものやメタ展開って、物語の限界を示してしまっているよね。ゲームとしての物語を突き詰めると、こうなってしまうんだよという。先駆者は讃えられるべきだけどそれに乗っかっているだけの物語は可能性を狭めていることを自覚してもらいたい。だけど、と**は良かったよね。あれは可能性を広げている素晴らしい作品だと思うよ。他にもThe Stanley Parableとか、可能性もまだ残されてはいるんだろう。ループものやメタ展開は面白いんだけどね。面白いからこそ乱用するのは良くない。慣れて、物語なんて結局この程度なのかと思われてしまうから。



なんとかSuns倒した。チート使ったけど。回復アイテム増やした。マジで難しすぎてきつい。難易度を自分で調節したってことだよ。まぁそれでも数時間苦戦した。俺としてはこれ以上付き合うつもりは無い。ここまで本気で熱中させられたゲームもなかなか無いけど。この苦戦が最高の体験に繋がるとは考え難いな。適度に苦戦して進めるくらいがいい。Gルートはソウルシリーズよりも難しい。


ここまで。

2017年1月17日火曜日

Undertaleについて2

引き続きネタバレなので白文字にしておく。








































ここから↓


クッソ難易度高くして攻略のハードル上げて偉そうなこと言ってんじゃねーよバーカ!!!!!!!!


はい、これだけ言いたかった。

十分楽しんだし面白いゲームだとは思ったけど、Gルート自力で改めてクリアしようとしたら難しすぎて腹立った。

言ってる内容はまだしもこれだと大往生裏2周目くらいの難易度用意しても同じこと言えるじゃねーか。

いやこのゲームのボスくらいなら努力で抜けれるって話をしてるんじゃねーよ。

ゲームの腕だって個人差があるだろうが。

大体回復アイテムやら武器やら取り逃して進んだから戻れなくてより厳しい状況でやらされるのにもムカついた。 

なんとかUndyne the Undyingは倒したがこの先やる気がしねぇ。

クリアできないからクソゲー!って言われてもおかしくないだろう。

この難易度で、このシナリオで、批判がほとんど無くて絶賛レビューばかりなのはおかしい。

俺もそうだったがPルートまでしかやってない人(そこまででレビューを書いた人)は大量にいるはずだ。 

シナリオ的には同系統の某***とかいうゲームだって批判されてたが同じ批判はあってもおかしくない。(どっかにはあるのかもしれない)

雰囲気に飲まれて感化されるんじゃねぇ!

抗え!!!!!!






以上。


PS:

(何故か白文字に出来なかったからネタバレ注意)





steamのおすすめしませんのところを見てきたらやっぱりいた。
だけどそれに対する否定的な投票の率が高い。
俺はそれも一つの正当な評価だと思うんだが、まぁそういうゲームだからな…。 
そこがこのゲームの嫌いなところなんだが。 (全体的にはいい作品だし好き)
というか、この尖っているところがいいところなのに万人が楽しめるっていうのはちょっと違うような気がする。
Pルートまでは問題なく楽しめる。

2017年1月15日日曜日

人にものを勧めるということについて

私は人に何かを勧める際、自身の感想を極力排して勧めたいと思っている。だから、簡素な言葉で、"面白い"だとか"楽しい"だとか、それ以上の言葉は費やさないようにすることがある。

それに対して、自身の感想に重きを置いて勧めているものは、俗に言う人を選ぶもの、または私が個人的にその体験をとても気に入ったものである。
そういったものには偏見(偏愛)に満ちた感情的なレビューを書き連ねるようにしている。私がそれをより強くアピールしたい(自分自身ではなく、この作品を)と思ったためにそう行動している。
何故なら簡素な言葉では人には届かないからだ。



またこれらは場所を変えて書くよう心掛けている。(私にも名誉欲はあり、自己顕示欲もあり、自分自身の体験に価値があるのだと信じたいがためにも、厳格にそれを実行しているとは言い難い)

その場所は、第一に多くの人に受け入れられるだろうと思える作品は、ついったーのような不特定多数の人間が見る場での簡素な発言に留めるようにしている。

対して極私的な、個人的な体験を話したいと思える作品は、より私的な場ーー例えばブログ、読書メーターやsteamのレビューなどーーに投稿するようにしている。(どうにも近頃のついったーは私的というよりは公共の場といったような印象が強くなってしまっている)レビューを私的な場と言うのはおかしいかもしれないが、私はブログに個人的な感想を書くのと同じ意識で書いている。より目を通される場に置いたというだけの。

そういったレビューは、公平性の求められる雑誌のレビューでもないので私的な体験を書いても構わないと思っている。
それは単なる規格的な工業製品を評価しているのではなく、個人の得られた体験を評価する以上、私見を一切排するようなことは不可能であるからだ。
それ故にあえて公平さを欠いた感情的なレビューにも十二分に価値がある。

ただこれらは心構えの話で、前述したように厳格に守っているものではない。どうしても個人的な体験をみなに話したくなることもある。あまり話したくならないようなこと、またネタバレに繋がるようなことは場を分けている。



さてこの話を通して私が主張したいこと、一番重要なことは、作品に触れる際、極論を言えば何の情報にも触れるべきでは無いということだ。作者の想定した範囲での情報以外、何も知るべきではない。より自然な体験を得るためには、フラットな状態でそれに触れるべきなのである。
何らかの情報を得ることは、それだけ針がどちらかに傾くということで、作品外の要素でどちらかに傾くことは、偏見を助長し、頭の中にイメージを作り上げ、作品からのインプットで構築されるはずだった世界観を阻害する要因の一つになりかねない。

それでもあえて私が個人的な体験を人に話そうとする理由は、そうでもしないと知らない作品に触れてもらえないからだ。
この情報過多の社会の中で、全く知らない作品をただ面白いと一言言っただけでは何も注目してもらえない。
一定の評価を得ているメジャーな作品であればそういった言葉も必要ない。私はただ面白かったと言うだけだ。

だがマイナーな作品がより多くの人の目に止まるためには、より大きな声を出さなければいけない。本来余分な知識は入れるべきではないのだが、数が少ない分より多くの情報を詰め込まなければ埋もれてしまう。体験の一部を前借りしてでもより強くアピールする必要性がある。



先日レンタルショップでの中身を知らずに借りようというキャンペーンをふと目にしたが、☆いくつ以上で面白さは保証しているよというものであった。この面白さの保証は余計な不純物だと思う。(プロモーション上仕方ない面も理解はするが、面白さを保証するという情報はいらなかった。面白いかどうかもわからないが、実は☆いくつ以上の作品しかないという話ならこのキャンペーンの意義を貫き通していたと思う)

それよりも私は小説の序文だけを並べるキャンペーンを支持する。この観点からすると、これは公平で、ほぼ理想的なキャンペーンだと思う。作者がそこにどれだけ力を入れているかどうかがわからないという点には留意すべきだが。



人間に寿命というものが無ければ、時間が無限にあればレビュー・評論・批評と言ったものは必要が無くなる。全ての作品に触れることが出来たならば、他人の評価は一切必要が無くなるからだ。残るものはより深く作品について知るための考察。それも必要があるのかどうか。自身の体験を一番と考えた時、それらは無意味で無価値なものに転ずる。社会における作品の立ち位置を示すために、批評というものは存在するのかもしれない。

いずれにしろ、自分自身の体験にとって、それらのものは全く不要なものだ。
あなたは、自身の体験を信頼し、価値を認め、それ以外のものを無意味だと断ずることが出来る。100人中100人がつまらないものだと判断しても、あなただけが面白いと思えばそれはあなたにとって面白いものだという事実は永遠不変の理だ。

"面白い"という言葉の良さはここにある。面白いという言葉は、みなも知っての通り、様々な意味を込めて使われている。"面白さ"は様々な尺度を持っている。悲喜こもごもをみな面白いという言葉で表現してしまう。だが、それら全てを含めてポジティブな感想であることには違いないだろう。ポジティブな感想を持ったという、それだけを伝える言葉として、"面白い"という言葉はとても優秀だ。

これまでに言った通り、それ以外の情報というのは他者にとって楽しむための障壁で、有害であり不必要なものである。特定の作品だけでなく、全ての作品で余計な事前知識は省くことによって、より純粋に近い体験を成すことが出来る。完全なる純粋な体験というのは、それこそ何も知らなかった子供の頃でしか成立しないであろう。それは、何者にも変えがたいとても貴重な体験だったはずだ。いわゆる原体験は、それを上回ることは不可能であると言ってもいいだろう。



私たちは時間を無駄にしないためにレビューを読む。口コミを訊く。評価を知る。しかし知り得た情報だけ純粋な体験からは遠ざかって行く。時間を無駄にしないために行なっているその行為こそが、実はもっとも時間を無駄に浪費している行為なのかもしれない。

2017年1月14日土曜日

Undertaleについて、そして懺悔

ネタバレ気にせず書くから未プレイ者はブラウザバックでね。








































結局Gルートはサクッと諦めてプレイ動画を見た。そしたら見事にfloweyに痛烈な批判されちゃったよ。あらまぁ。

しかし、すごいねこのゲーム。RPGをプレイして、こういうことを思ったんだろう?常識としてあるものをこうやって俯瞰して分析して解体して、再構築して作品として作り上げる。パーツを間違えないように組み立てないと、ここまで広く親しまれる作品は作れないと思うよ。子供の頃からRPGをプレイして、思い入れがある人ほど痛切に響くだろう?俺はどちらかと言うと、そこまでのRPG好きではなかった。(PSハード持ってないからRPGに触れる機会が少なかった) けど、RPGはこういうものだという観念は染み付いていたから、こんなメタな視点は持てなかったよ。一つあるとすれば、RPGはどんな作品であろうと敵を倒すだけの物語でしか無いなと、そうふと思ったことはあったがその程度だ。だからその視点からさらにより深く考えて作られたこの作品には頭が下がるよ。


NからPルートをクリアして、Gルートを始めるのに抵抗があったからしばらく置いたことは、結果的に正しい行いだった。それは、この作品のことを考えると必然的にそういう行動を取るようになっている。Gルートに抵抗のある人は他にも多くいたようだ。

改めて再開してGルートをプレイしたのだが、ヒーロー戦で詰まった。装備も回復アイテムも回収が雑だったので弱い。動画と比べるとダメージが1400→1000くらい違った。回復アイテムも店で買えるものしか持ってない。戻って回収するのは面倒だった。だからプレイ動画を見ることにした。

この行為の是非は置いておこう。それにしても難しいゲームだ。バランスの良いゲームだとは思えない。Pルートのボス戦はなかなか心地いい難しさだったが、Gルートのこのボス戦はもはや覚えゲーのガチシューティングだ。レビューだとNからPまでクリアしました!感動した!な人がたくさんいるようで(俺もその中の一人だった) この難易度について触れている人は少なかったが、レビューをするなら一言警告してあげるべきだと思う。そう思って俺は自分のレビューを書き直した。繰り返すがPルートまでは心地いい難易度だった。とは言え同様の問題は発生する恐れがあったし、実際回復アイテムを揃えてなくて泣きそうになったことがあった記憶がある。確か戻って買い直したのかな?多分作り慣れていないからなんだろう、というかテスター不足かな。不親切な部分も無かったわけではない。それらを覆い隠すほどのストーリーテーリングの秀逸さがあるのは認める。だが公平さは必要かな。RPGといいつつかなりの腕のSTG力も要求されてしまう。というか、Temmieの防具はGルートにこそ必要なんじゃ無かったのかな。なんで無かったんだろう…。まぁGルートをクリアさせようとしないガチ難易度にするのは意図的なんだろうけども。だから、この点で批判したくはない。万人に受け入れられる作りにしなくてもいいという、まさにインディーズゲーの良さの一つだろう。間口よりも信念。

さてGルートの続きだが、floweyのセリフに"「ぼくには何が起こるか知る義務があるからやっているだけだ」"というものがあったが、まさにこれだった。プレイは挫折してもぼくには何が起こるか知る義務があるから見ているだけだったのだ。
そしてそれに続けて"こんなぼくらでも何が起こるかただ「観ている」だけの狂人よりはマシだね…"と来たもんだ。
その直前に、Undertaleとは関係のない内容でこの動画を見ながらこんなことを呟いていた。

「ゲームはプレイ動画でもいいと思ってる人だからいわゆるゲーマーとはかなり溝があると思う」

まんまとしてやられたわ。まさかそこでリンクしちゃうとは思わなかったよ。ゲーマーという言葉・概念が嫌いだから、それについて考えていただけなのに、リアルタイムで同期してゲームに批判されてしまった。そこまでリアルに侵食してくるゲームなのかこれは?まぁただの偶然だけど、このプレイ動画を見ていることで思考も影響されていたんだと思う。それに加えてゲーマーとはかくあるべき論をTLで見てしまったから、それについて考えを巡らせていた。

どうだろう、このゲーム、Gルートをクリアしてfloweyの発言を受けた後でも、俺は堂々と、「プレイ動画を見てもいいのだ」と言えるのだろうか?なかなかハードな問いだ。ゲームをプレイすることによって体験の質が変わる作品があるというのは認める。そしてまさにこのゲームこそが、アドベンチャーでありながらもただ見ることを批判している。実はただ見ることに一つの要素を加えたシンプルな作品こそが最も端的に、ただ見ることと体験することの違いというのを表現出来うるのかもしれない。それはPCのエロゲ、アドベンチャーでもしばしば用いられる手法でありメインテーマの一つでもある。一番わかりやすいものでいうと物語に直接的に関わる"選択肢"の話だ。小説とゲームは何が違うのか?それは選択肢の有無にある。選択するという体験は、小説では得られない。ゲームがゲームとしてあるために必要なもの、それを端的に表すものが"選択肢"なのだ。私はそれをよく理解しているからこそ、選択肢の無意味さに過敏で、無意味な選択をする空虚さから逃げるために攻略を見る、プレイ動画を見る…。しかし、真に優れたゲームは選択肢の意味を軽視しない。遊んでくれるプレイヤーに向けて、選択する意味を与えてくれる。それはあなたの体験だから、あなたの選択だから、あなただけの結末を導いてあげるのだと。同じ物語を自動的に再生させても、同じ体験を得ることは出来ない。それこそがゲームの本質である。私はゲームを軽視して、本質から離れてしまっていた。ナルシズムに言えば、ゲームを愛するあまりゲームを軽視する作品に耐え切れなかったのだ。だがそれは間違いだった。真のゲームは私を待ってくれている。本当の体験を、その世界を作り上げてくれている。
私がそうして軽視した結果後悔したゲームは、シュタインズゲート・YU-NO・EVE burst error・スマガなどなど…。シュタゲの嘘エンディング、YU-NOの世界観、EVE burst errorのディスクを利用した謎解き、(スマガはなんか忘れたけど意味があったような気がした。ぶっちゃけ長くてあんま面白くなかったけど、作りとしては優れたものだったと思う。) 他にもたくさんあるはずだが全てを思い出して書くとそれだけで一つのブログが書けてしまいそうだ。
これらはどれも選択の結果としての物語を描いていて、ゲームに対して真摯であった。私はそうではなかった。ゲームとは名ばかりの小説だとばかり思っていた。しばしば揶揄される、紙芝居であると思っていた。

これからは優れたゲームに対しては信頼を置いてみようと思う。自分自身で体験することに価値を見出したい。裏切られることもあるだろうが、それ以上の至福の体験が、そこにあると信じている。


PS:
それでも私はプレイ動画に対して肯定的であるこの姿勢を変えるつもりはない。いくらかの体験の欠落があろうとも、人間の時間が有限で、能力にも限界がある以上、攻略やプレイ動画の視聴は不可避なものであると思っているからだ。

2016年12月24日土曜日

ローグライクその他ジャンルの定義について

ローグライク ダンジョンクロール ハクスラ DRPG ディアブロライク ガントレットライク シレンライク wizライク


ここら辺の言葉の定義が曖昧でよくわからないから気が向いたら調べる。 
もしくは誰か教えて!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
自分用に雑に調べてまとめた。
中身は暇な時に読んでいく。個人ブログなんかも混ざってるよ。


"http://www.roguebasin.com/index.php?title=Main_Page"

「 Of course, the best way to understand what Roguelikes are is to download and play one. 」


[ローグライク]

"https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0"

ローグライクゲーム(Rogue-like games)は、ローグと同様の特徴を持っているコンピュータRPGの総称である。

ローグライクゲームでは伝統的に全ての情報を文字で表示するが(テキストユーザインタフェース)、オプションでキャラクターや地形等の情報をグラフィカルに表示できるものもある。また、チュンソフトが制作している不思議のダンジョンシリーズ等のコンシューマー用のローグライクゲームでは、グラフィック表示が標準になっている。

ローグクローンと言われることもあるが、ローグ自身に諸事情から元祖と再実装されたものとがあり、再実装版ローグがローグクローンを名乗っているので、混同しないよう避けたほうがよい。

特徴 
1- 文字による情報表示
2- 文字によるコマンド入力
3- ランダム生成ダンジョン
4- ターン制の戦闘システム
5- 恒久的な死
6- スコアランキング
7- 食糧問題

"http://www.roguebasin.com/index.php?title=What_a_roguelike_is"


"http://www.roguebasin.com/index.php?title=Main_Page"


参考
"http://d.hatena.ne.jp/inziladun/20070422/1177250258"

Roguelikeの定義とは?


[ダンジョウクロウル]

"https://ja.wikipedia.org/wiki/Dungeon_Crawl"

ダンジョンクロウル( Dungeon Crawl )はローグライクゲームの一種。英語のテキスト版を原型とし、日本語化、タイル表示、マウス移動などに対応している。正式な名称は“ Linley's Dungeon Crawl ”であるが、日本ではもっぱら“ Dungeon Crawl ”、あるいは“ Crawl ”と表記される。


 "http://jp.automaton.am/articles/impressionjp/impression-darkest-dungeon/"

  ダンジョンクロールとは、多数の戦闘と報酬獲得に重点を置いたダンジョン探索+ハックアンドスラッシュのゲームジャンルだ。日本では『デジタル・デビル物語 女神転生』『世界樹の迷宮』などで知られている。


[ハックアンドスラッシュ]

"https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5"
 
ハックアンドスラッシュ(Hack and Slash) とは、ゲームを分類する要素のひとつである。元来はロールプレイングゲームの用語として使われてきた。

歴史

元々は『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のようなテーブルトークRPGにおいて、モンスターを倒して経験値や強力なレアアイテムを入手し、キャラを強化してさらに強力なモンスターを倒すというプレイスタイルを指し、アメリカから輸入された言葉である。hack(切り刻む)とslash(叩き斬る)という言葉の複合が示すように、ストーリーや世界観の表現よりも戦闘に勝つ、敵を倒すということを意識しているスタイルに対して使われる言葉であり、物語性や世界観を重視してキャラクターを演技するということに重きをおくプレイヤーから揶揄として使われる場合もある。

コンシューマゲームが普及し、テーブルトークRPGに影響を受けたコンピュータRPGが登場すると、ハックアンドスラッシュという言葉もコンピュータRPG独自の言葉として使われるようになった。コンピュータRPG初期の作品である『ウィザードリィ』や『ダンジョンマスター』は次々に襲い掛かる敵を倒し、ダンジョンを探索するというシステムになっており、これらの作品の評価の高さもあってコンピュータRPGにおけるハックアンドスラッシュとは敵と戦うことに重点をおいたシステムのRPGであるというように、RPGのジャンルを示す言葉としても使われるようになった。

主に海外製のMORPGやMMORPG、テーブルトークRPGで使用される言葉だが、日本でもヘビーゲーマーが好んで使用することがあり、「ロールプレイングゲーム」と言えば家庭用コンピュータRPGが代表的なものとして認識されている日本の現状において、オンラインRPGやテーブルトークRPGの市場ではコンシューマゲームとの差別化を強調できる売り文句として機能する場合もある。


" http://ncis6247.blog.fc2.com/blog-entry-2944.html "

952 名前:名無しさんの野望[sage] 投稿日:2013/08/04(日) 16:46:23.33 ID:17TdH6WT
そもそも語源が「切り刻んで叩き斬る」だから戦闘メインのゲームを指すことは間違いない
発祥がテーブルトークRPGのプレイスタイルのひとつである事も留意してほしい
レアアイテムやレベリングは当時から用意されていたので重要な要素のひとつにカウントできる
トレハンやビルドの程度に関わらず、

・戦闘に重きを置いている
・戦闘によってアイテムや経験値などわかりやすい対価を得られる
・レベリングによってスキルなど戦闘を有利にするメリットを得られる

という要素を持っていればそれはゲームジャンルとしてのハクスラと呼べる。
戦闘がメインでなくても戦闘部分に上記を意識した要素が用意されていれば、
「ハクスラ要素」としては認められる(ゲームジャンル自体はメインである要素で決定されるべき)
発祥が戦闘を繰り返すプレイスタイルを指すため、RPGでもACTでも違いはない
海外ではDevilMayCry3がハクスラの良作として知られており(爽快な戦闘とブラッディパレス)、
日本の「ディスガイア」シリーズがハクスラとは認められにくい
(トレハンとレベリングがメインで戦闘自体は重要な要素ではない)のがポイント

どうしても納得がいかない、DiabloがHack&Slashのすべてだ、Wizなど知らぬ、D&Dなど知らぬ、
と主張したい人は自分たちで作った隔離スレにどうぞ。おわり。
そもそも「ハクスラ」で統一されず「ディアブロライク」と呼ばれる時点でどういうことか気付けるはずだが


参考
"http://hakusura.doorblog.jp/archives/17735381.html"

ハクスラとは No.1


[DRPG]


個人的にエクスペリエンスがよく使う印象がある。

"http://dic.nicovideo.jp/a/3d%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3rpg"
 
3DダンジョンRPG(3DDRPG)とは、Wizardryや世界樹の迷宮、エルミナージュに代表されるコンピュータRPGの一ジャンルである。単純にダンジョンRPG(DRPG)とも。

概要

3DダンジョンRPGは以下の特徴を持つ。

- 方眼紙のような1マス1マスに区切られたフィールドに描かれたMAPを一人称視点にて進み、探索していく。
- 多くの場合、上記のMAP(ダンジョン)と拠点(街等)は分けられ、拠点はテキストで構成されている。

初期のコンピュータRPGであるWizardryを直系の祖とし、狭義ではWizardryライクなゲームを差す言葉でもある。ここではWizardryライクなものを中心とし、広義の3DDRPGである女神転生などのシリーズなどにも触れていく。

なお、Wizardry以前にも3DダンジョンコンピュータRPGはあった。そのため、Wizardryが3DダンジョンRPGの「始祖」というわけではない。だが、Wizardryに先行するそれらは限られた人間しかプレイできない性質のものであった。そのため現在の3DダンジョンRPGは遡ればほとんどがWizardryからの影響下にあると言える。
 
大まかな分類

3DDRPGはWizardry以後、時代によって多種多様な発展を遂げてきた。世界的に見れば3Dダンジョンは過渡期の代替的表現としてみられ、時代が経るごとに「純粋な」3Dゲームへと進化していったが、日本国内ではWizardryの大ヒットから国産WIZと呼ばれる派生系が誕生、それとは別の流れでアトラスの女神転生シリーズなどで3Dダンジョンが採用され、独自の道を歩んでいくことになる。
ここでは、Wizardry(#1~5)をベースとするWIZ系、それとは別の女神転生などの国産3DDRPG、そして海外のDRPGと3つに分けて紹介していく。

- WIZ系
Wizardry(#1~3、#5)をいわゆる本家と称し、アスキーの外伝シリーズなどWizardryの名を関すシリーズが多いのが特徴。主な国内メーカーとしてはアスキー(FC、SFC版の本家、外伝、ディンギル)、スターフィッシュ(エンパイア、エルミナージュ)、アトラス(BUSIN、世界樹の迷宮)、エクスペリエンス(WIZ-XHT、G-XTH、円卓の生徒、デモンゲイズ)、ゼロディブ(ルネサンス・とともの)など。
- 共通する特徴としてハック&スラッシュが挙げられ、ダンジョンに潜り、宝をあさり、手に入れた強力な装備でさらにダンジョンを攻略するというスタイルは多くの中毒患者を生み出した。
- 不親切かつ理不尽な高難易度のマゾゲーとしての印象が強いが近年の作品はそういった面は薄くなり、始めて3DDRPGをプレイする人間でもスムーズにプレイできる作品が多い。
- 名作として挙げられることの多い作品は、Wizardry#1、#5(SFC/PS/SS/WIN)、外伝:五つの試練場(WIN)、エンパイアIII覇王の系譜(PS2/PSPDL)、エルミナージュII(PSP)、BUSIN(PS2)、BUSIN0(PS2)、世界樹の迷宮シリーズ(DS/3DS)、デモンゲイズ(PSV)等。
- #1は極めて多くのハードに移植されている。PS/SS/WINで出ているリルミガンサーガが入手難度的におすすめ。
- 他の国産3DダンジョンRPG
- 時代をぶっちぎったスタイルと数々の斬新なシステムを引っさげた女神転生、及びそれの派生シリーズを有するアトラスが一大メーカー。古典的スタイルを保つWIZ系とは真逆に重厚なストーリー、ルート分岐するマルチシナリオ、時代・ハードに合わせた華美なグラフィック、そしてなにより特徴的なシステムなど日本のゲームシーンに置いて独自の立ち位置を形勢している。もっともその個性の強さから、3DDRPGというよりは既にメガテンという1ジャンルを築いているとも。
- メガテン以外では世界樹の迷宮(初代)の開発メーカーでもあるランカーズが手がけたコンパチヒーローシリーズのロストヒーローズ、アダルトゲームの雄であるアリスソフトのランス6、GALZOOアイランド、同じくアダルトメーカーでゲーム性には定評のあるninetailの遠望のフェルシス、GEARS of DRAGOON、ふたを開けてみたら本格派だったアクアプラスのダンジョントラベラーズなどのキャラゲーも揃う。
- レトロゲームでは初代ファンタシースター、シャイニング&ザ・ダクネス、シャイニング&ザ・ホーリィアークなどセガの存在感も強い。セガサターン以前の魔導物語も数多くの特殊なシステムを積んだ味のある3DDRPGである。
- 海外作品
- Wizardry以降の3DDRPGとして挙げられるもといえばダンジョンマスターであろう。数々の特徴的なシステムを持っているが、やはり特筆すべきはリアルタイム性。時間が立てば腹もすき、寝て入ればモンスターに寝込みを襲われ、罠に引っかかれば囲まれる‥・そしてダンジョンだけではなく広いフィールドを歩くことができるマイト&マジックが同時期に登場。リアルタイム・広域なフィールドなどとった要素はフロムソフトウェアのキングスフィールドなどにも取り入れられ、AIの概念を加えてoblivionなどに発展していく流れとなる。本家Wizardryもこの流れにのり#6からはダンジョン探索スタイルを捨て、3Dフィールドを進んでいくタイプとなり、スタミナと休息の概念などの時間経過要素を取り入れてゆき、#8では完全な3Dゲームとなった。
- しかし、パイオニアのアドバンテージを失い、凡百のゲームの一つとなった本家Wizardryは#8で終止符をうち、#1~3、#5が流行した日本でのみで新作が作られるという変わった結末を向かえている。
- 現在海外では3DDRPGはすでに終わったジャンルとして認識され新作として出ることはほぼないようである。


[ディアブロライク]

"http://cris-deepsquare.cocolog-nifty.com/top/2013/08/post-b783.html"


ディアブロライクとは、

 経験値(レベル)があって、
 任意選択可能なスキルツリーがあって、
 武器や防具にランダムの付加効果が付き
 トレハン要素があり、
 難易度を選択があり(もしくは1周クリア後高難度の2周目が始まる)
 リアルタイムで進行するゲーム

これを指すのだと思う。

[ガントレットライク]

なんか見下ろし視点のやつ


[シレンライク]

風来のシレン


[wizライク]

Wizardry.
個人的にこの言葉が好き。エルミナージュとか。


PS:
いい感じにまとまってるところを見つけた。
http://2dgames.jp/2015/03/19/roguelike/

2015年8月17日月曜日

メイド諸君!

いわゆる自分語り。
なんだかもう近頃は文章を書き上げるんだっていう気力も尽きてて書きたいことを適当に書いて終わりにしてしまうんだけども。
本の感想は読ませることも意識して結構頑張って書いてたんだけどなぁ。
だからこれからは目一杯独りよがりで自分のためだけの文章を書こう。

メイド諸君!
とても心に痛くて、時折ページを閉じて深いため息をつきながら読んだ。
どうしても自分に重なってしまう、共感してしまう部分があって、そこがとてもつらい。
有名な「なんで処女じゃないんですか!」も正直全くもって笑って読めない。処女厨だとは言わないんだけど、多分その場面に自分がなった時のことを想像してみると他人事には思えない。
果たしてそんな場面に自分はなるのか?というと、なかなか怪しいが。

立派な自分になってまた会えば認めてもらえるはずだとか、最後に一目見てお礼を言いたかっただとか、実際にそう思ったし同じ行為をしてしまったからつらい。自分の場合は最後にもう一度顔を合わせたいと言ったら断られてそのまま終わってしまったんだけども。

あとは文字だけのコマだった、これが最後の恋になるだろうから〜みたいな文章。あれも全く同じことを考えていたし、よくまぁこんな作品が書けるものだと感心してしまう。

自分に合う作品が無い、面白い作品はどこにあるのだろうと必死に探しているから、こういった作品に出会えることはとても嬉しい。
嬉しくて、人の家で借りて読んだというのに自宅に買って置いてしまいそう。ヨイコノミライも同じことをしていたので、きづきあきらサトウナンキのコンビは手強い。(ところでwikiを見たら夫婦だったのね。

自分は大体こういった作品を見つけるとcarnivalと比較する病に罹っているのだけれど、やはり自己否定的な主人公に対するヒロインは、病的なまでに跳ね除けられても追いかけてくるというか、そうでもしないと拒否した瞬間に物語が終わってしまうから、無限の包容力を持った女の子であることが必要条件になる。
どれだけ自分を自己否定してもそれが好きなんだと肯定してくれる人間。そんな人がいたらもうそれは魅力的に見えて仕方ない。とてもじゃないが現実に出会える気はしないのだけど、そういう人間でないとこの先結ばれることもないんじゃないかと思ってしまうのだ。だからこそここまでの実感を持った上で、自分はこれから先好きになる人がいても結ばれるようなことはあり得ないのだと、諦観を深めて行ってしまうし、またフィクションの物語にしかいないそういった存在に対して、流行りの言葉で言う"尊い"というような、想像するだけで涙が出てしまうくらい心からそれを愛しているのだ。
体ではない精神的な深い繋がり、前世からの業のような切っても切れない関係性に、私は惹かれるし憧れる。
現実にはこんな都合の良い異性は存在しないんだよと言われても探し続けてしまう。たとえこの先誰とも関係を結ぶことが出来なかろうと。



2014年10月11日土曜日

つめたいオゾン 唐辺葉介

"脳は、自分にとって不都合な事実でも、感情と共存し難い事実でも、全てを明白にしてしまう。そして明白で疑う余地のないものになってしまえば、もう受け容れるほかない。こうした論理の働きのせいで、自分はどれくらいの数、不本意な事実を心のなかに受け容れて来たのだろう。嫌いな相手の言い分と、それを言わせた心情を、どうして理解出来てしまうのだろう。"