2017年3月18日土曜日

ダンガンロンパV3 (追記あり

ということで終わりましたので感想を書いていきます。

ネタバレありで書くので、未プレイ者はブラウザバックをお願いします。

やってない人は最高に面白いからシリーズ全部やろーね!
焦らずゆっくり楽しみながら、ちゃんと順番に遊ぶんだよ!












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さて、まずこのゲームに対しての感想は……ネタが浅い!!!

やる前の僅かな情報から推測したものがほとんど合ってたよ!
未プレイなのに核心的な部分突いててあの時したpostがめっちゃネタバレしとったやんけ!



プレイ前に考えていたことから順を追って書いていくけど、事前に知っていたことと言えば、
Amazonのレビューがネタバレで、そのレビュー自体がこのゲームに対しての感情を表した現象になっている、ってこと。
ちなみにまだ中身は読んでない。これ書き終わったら読むのをずっと楽しみにしてた。

そこからした推測は、(実際どうかわからないけど)ネガティブな感想で、製作者がこのシリーズを完結させるためのプレイヤーごと巻き込んだメタなシナリオを書いた。
んで、それを書くならきっとこのゲームのコンセプトであるデスゲームが根本にあって、それを楽しむプレイヤーを批判するシナリオにしたから反発を受けたんだな、ということまで考えるのは容易い。
そしてミステリー自体を批判するアンチミステリー的な要素もあったんだろうな、と。

あの時触れた作品が中井英夫の「虚無への供物」だったんだけど、まぁこれは推測に推測を重ねていて、
「虚無への供物」のネタバレを見て(これは事故であって読もうとしたわけじゃなく、おすすめはしないけどGoogleで「虚無への供物」を検索してもらえると言ってることの意味がわかると思う。)
、と言いつつ古い作品だしもう気にする人いないだろうってことで書いちゃう。

あの作品は読者が犯人らしいんだよ。
それで、クリアした人ならもうこの作品との繋がりがわかるよね。
そこで「虚無への供物」のネタバレを見てその物語を推測した内容が、ダンガンロンパV3へとすっかり当てはまってしまったんだよ。メタ推理だね。
半分偶然で、全てが繋がっている必然でもあったけど、まぁもし俺が発売日に買って何も知らずに遊んでいたらこんなことはわかるはずも無かっただろう。
ゲーム内ヒントで気が付く可能性も無くは無いが。



そうそう、そもそもその「虚無への供物」に触れた理由が、その前にプレイしていた「her story」が後期クイーン問題を扱ったミステリーだったな、と感じたことで、
それを検索して出てきたブログ記事を書いた人がこの「虚無への供物」に心酔しているみたいだったから……っていう繋がりだったようだ。(ついろぐを見た

(外部記憶装置便利ですね。思考の流れをpostしてて良かった。 )

まぁこれは単にどれもミステリーの話だってことで、繋がりって面白いよね!というだけの話なんですけども。
作品にたくさん触れる理由は繋がりを楽しむことにもある。



さて次にその「虚無への供物」から考えたことは、そうした読者を作品世界に巻き込んだいわゆるメタなシナリオについてだった。
メタなシナリオに対しての感情は一度書いたのでそれを再度編集して載せると、


 メタ構造を内包した物語こそが物語として優れているのなら、それは本来の物語の意義としての、現実とは異なるフィクションの世界を描くという目的から最も遠く離れてしまっていて、それは最も現実に近い世界の物語を作り上げることこそが最良だということになってしまう。

だから読者視点を切り離して、その世界での、その世界の出来事でしかない物語を体験させる物語こそが優れているのだと、もう一度原点に返って指し示してくれる物語を読みたい。

究極の物語としての答えがメタフィクションになることは納得が出来なくて、自分とは別の世界の完璧な物語にこそ究極であって欲しい、という感情がある。 


改めて言っておくと、自分のオールタイムベストであり、かつ好きになる原点となった物語は「Ever17」であってメタなシナリオは大好物だが、だからこそ相反する気持ちも持っている。

確かに物語の世界と現実世界が融合すればそれは完成形と言えるのかもしれないけれど、果たして本来物語に対して求めていたものはそれだったのか?と。
あなたは現実の付け入る隙の無い完璧なフィクションを求めていたんだろう!
それを受け入れてしまったら、とどのつまりノンフィクションが至高だということに行き着いてしまうではないか!



以上のような内容を、"プレイ前に"考えていました。

ということで、これがダンガンロンパV3の感想です。
プレイ前でもこんなに核心的な部分の推測が出来て、感想が書けてしまうネタのゲームなんだから、浅いよね!

……となってしまうところだったんだけど、実際やっているとそうは思わなかったんだよ。

そこがこの作品の、この浅いネタに深みを持たせられた理由で、
ダンガンロンパを遊んで来て、キャラクターに愛着が湧いて、ゲームからアニメ化小説化実写化…、更には優秀なプラットフォームとしてパクられるくらいまでに成長したこのシリーズを、50作以上も続けられるはずだったこの作品を、
あえてそこで断ち切って終わらせてしまうシナリオを描いたその英断こそが評価されるべき部分だと思うんだよ。
誰かが思い付いたとして、この決断を下すことはなかなか難しい。続けることが目的となるシリーズで、この作品の1作目の根本から否定するシナリオを送り出すなんて、誰がやりたがるのか?

まぁ否定すること自体はたまにあることで、少し前に話題になった君と彼女と彼女の恋もやっていたね。あれも賛否両論だった。

これが1作目でも2作目でも無くて、3作目だったっていうのは、絶妙なバランス感覚だと思う。
1作目にこれ出してたら全く評価出来ないよ。ただの浅いネタだもん。
2作目は1作目をベースに更に発展させる。
そして、3作目でシリーズを終わらせる。この上なく美しい流れだね。
この重みがあってこそのこのシナリオだったよ。



一番好きだったシーンはやっぱり黒幕が出てくるシーンで、あのくどいくらいフィクションを連呼する行為と、その時にシリーズの過去のキャラクターがコロコロ移り変わって、ダンガンロンパの思い出を思い起こさせてくれる演出がニクいね。
頭の中の記憶を一つ一つ取り出して、あれも、これも、それも、ぜーんぶフィクション!というのを見せつけるために必要だった演出なんだよ。

過去作のキャラクターはフィクションだからコスプレ出来る!っていう、その二重の意味で完膚なきまでにこれがフィクションだということを叩き込ませるゲーム内設定なのは感心したね。
その場にいるキャラクターもフィクションなのにコスプレ出来ないのは、あれはリアルフィクションだからいいんだよ。あの場にいるあの人間たちは、あの人間たちにとってだけはリアルな存在なんだよ。

だけど、そのフィクションを眺めた時に自分は何を思ったのか。
まさか、えぇっあれってフィクションだったの!?という純粋な反応する人はいないと思うが、その時の思い出を振り返った時にどう感じただろうか。

フィクションだけど、シリーズのキャラクターへの思い入れがある。当時のあれやこれやの物語は楽しかったなぁと、思わなかっただろうか。
懐かしい姿で、懐かしい声で、セリフを喋ってくれるキャラクターたちに感慨深さを感じて、
その時、自分の中にキャラクターは生きていて、全てがフィクションだったけど、この体験こそが現実のものだったと実感しなかっただろうか。

俺にとってあの演出は、ファンへの贈り物だった。



俺は冒頭に結論を提示しておくなんて親切なことはしないよ。

だから今結論を言わせてもらうと、

ダンガンロンパV3は最高のファンサービスだった!これはファンのためのゲームだよ。

正直なところダンガンロンパシリーズのファンかと言うと、ゲームを1,2とやってきただけでそこまでのコアなファンでは無い。
それでも、シリーズを通して遊んで来たプレイヤーの一人として、
この作品の、一度見たら忘れられない強烈な個性を持ったキャラクターたち、
一つのミステリ小説が書けそうなくらい練られた二転三転するトリック、
能動的な推理を行わせるシステム、感情を揺さぶるストーリー、物語の if の世界まで描いてくれたおまけゲーム、レースゲームはまぁ…平凡だったかな、全部ただのフィクションだったけど、得られた体験は現実だったよ!
メタなシナリオでフィクションを貶めたけど、それを踏まえた上でBADENDの先まで考えてくれたことは、一つのフィクションとしての、物語の在り方を考えた末の結論を受け入れようと思う。
でもこれが全ての答えじゃないよ。フィクションに対する一つの解釈だよ。



勿論、これって続編は出さないという覚悟あってのことだよね?
同じプラットフォームで続編出してもびた一文出すつもりはないよ。
新規IP出すなら、応援します!小高和剛さん頑張ってね!



PS:

書こうと思って書き忘れてた。
ダンガンロンパのトリックが素晴らしいからよっぽど古今東西のミステリー読み込んだんだろうなと思ってたけど、ダンガンロンパの小説も書いてるミステリー作家の北山猛がトリックの協力してたのね。あれもこの作品を作るにあたって必要不可欠な部分だったよ。



PS:PS:

この後にレビュー記事を漁ったり感想読んだりしてたけど、この物語を理解出来てない人がたくさんいたのね。
まさかあんなに評価低いなんて思ってもいなかったからびっくりしたよ。
でも、そういうもんなんだろうな。

言ってしまえばあんな、物語を理解すら出来てないような批判をするのはただの馬鹿だよ。
フィクションの否定までは読み取れたようだけど、その先の肯定が見えてないんじゃない?
この作品はフィクションはフィクションだという当たり前の前提の上に、それがプレイヤーにとってどういった価値があるのかを示した結論だったと思うのだけど。
そういや似たような作品として、ファニーゲームもあったな。(これはポジティブさの欠片もない

ていうか、5章までは最高で6章が最悪だった。私は"エンタメ作品としてゲームやキャラクターを楽しみたいのであり"って何?
主人公のセリフ聞いてなかったの?w ちゃんと最後までプレイした?w
このゲームをプレイしてこのセリフを恥ずかしげもなく出せることに驚きだよ。
それに対するアンサーが上記の作品だな。



主な批判である「キャラクターへの愛が無い。プレイヤーを騙すことだけを考えて物語を作った」。これがまずもって間違えている。
大きな間違いだ。そこを勘違いして批判するのは作品を全く理解出来ていないし、ナンセンスだ。

この作品はキャラクターへの愛が溢れている。フィクションのキャラクターを愛した結果に誰もがぶち当たる壁を破壊しようと試みている。
たとえ嘘であっても見方によっては真実にもなり得る。フィクションのキャラクターは嘘であるという当たり前を踏まえた上で、そのフィクションを生きたキャラクターにするためにはどうすれば良いのか。
キャラクターへの愛着があるほど反感を覚えるこのシナリオで、もし、BADENDで終わっていれば、キャラクターへの愛はなく、ただ騙すことだけを考えて作った、と言われても仕方ないと思う。


(まぁ、短絡的に感情的に怒る人たちはもっといろんな作品に触れていろんなことを考えるべきだと思うよ。
薄っぺらい解釈で満足できるのならそれはそれで幸せかもしれないけどね。
とは言え俺も初めに書いたように否定的な意見も持ってるから、ちょっとした解釈のズレでそういう感想を抱いてしまうのも仕方ないことかもしれない。)



だが、このゲームがその先に描いたのは嘘のキャラクターたちの救済の物語。

特にあのsave→救済のギミックなんか、シュタインズ・ゲートの嘘EDくらいに白眉な演出だったと思うんだが。
初見じゃちょっとわかりにくかったけどね。
嘘にこだわるなら「いいえ」を選択させるんじゃなくて、嘘コード発射と同じ操作でsaveが救済に変わるようにすれば良かったんじゃないかな。

あの先で描いた救済は、フィクションは嘘であるという絶望的な真実から目をそらさずに、嘘の価値を端的に表した、キャラクターに対する愛に溢れた救済だったと思う。

だから、あの描き方が陳腐、(まだまだ洗練される余地はあると思う)
フィクション全てを背負う重みが足りてない、(そんなん一介の人間には不可能だよ)
もっと上手いやり方があったはず、(きっと君はいい作家になれる)
いいや、それでもフィクションのキャラクターたちは俺にとって真実だった、(これはこの作品を肯定してることになるよね?)
そもそも私はフィクションを自分の中での真実にすることが出来ない人だ、(じゃあなんでダンガンロンパV3買ったの?ダンガンロンパが好きだからじゃなくて?好きになれたならそれが一つの真実ってことじゃない?)

と言ったような批判があることは想定できるけど、
"キャラクターへの愛が無い"
これは、ダンガンロンパシリーズをここまで大きく成長させて展開してきた人たちに対して、
更に嘘を乗り越える救済を描いた作品に対して言える批判では無いのではないだろうか。
シリーズを積み重ねてきたからこその重みだったと思うよ。

シリーズをやっていない、別にダンガンロンパが好きじゃない人がこの作品をやってつまらないと感じたのなら、それは仕方ないんじゃないかな。
ファンのためのゲームだし、それまでの積み重ねが一番の肝だったから。



だからこそ、ダンガンロンパが好きな人たちがあんなにもこの作品に対して否定的なのを見た時にはびっくりした。
いや、あれが本当に好きな人たちの意見なのかどうかはわからないし、どうやら周りにはやっぱりこの作品が好きな人たちがたくさんいるみたいだから心配はしてないんだけど、
それでも好きなら理解して欲しかったな。
今からでも遅くないよ。
この作品は、"フィクションへの愛に溢れた作品"だったんだ、って。

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